柏原城 |
近鉄大阪線「赤目口駅」から南東へ約1.2km。「赤目口駅」南東200mにある赤目小学校から県道543号で100m程南下した2つ目の路地を左折し、120m程北東に進んだ2つ目の路地を右折します。500m程道なりに東南へ進むと右手に「勝手神社」があり、神社の北西脇(神社外側)に城址碑があります。車は神社に停め、神社北側の路地を道なりに東へ進むと周囲は一面の田んぼの中に、お墓が左手に見えてきます。このお墓がある背後の山が城跡で、登城口はお墓より北側にあります。 |
空堀 |
井戸 |
別名 | 滝野城、滝野十郎城 | ||
所在地 | 名張市赤目町柏原字滝野 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、井戸、碑 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 永禄年間(1558-70) | ||
築城者 | 滝野貞清・吉政 | ||
歴代城主 | 滝野 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2009/2 | 感想 | ○ |
かなり藪だったけど二重の空堀が見られます。ただ、本当は本丸を囲むように土塁と空堀があるのですが、西側はとても入り込めないような藪だったため、途中で退散。本丸の北東角付近には石組みの井戸があります。遺構は完存で堀も深く本当は見応えあるお城だと思うのですが、藪が酷すぎて城内に入るのも厳しい状況なのが残念です。 |
かしわらじょう |
永禄年間(1558-70)、滝野貞清が築城した。天正2年(1574)に貞清が没すると、十郎吉政が継いだ。天正9年、伊賀の乱が起き、柏原城に1600余人の土豪が立て篭もったが、信長軍の猛攻に力尽き、降伏した。 |