下山甲斐守城 |
登城口
国津小学校東方から県道693号で800m程北上した、角に奈垣集会所がある路地を右折します。500m程東進して左手に「奈垣国津神社」を過ぎ、更に600m程東進した峠の所で右手前方向へ右折します。道は細く、すぐに下り坂になるのを200m程進むと道路左手にお城の表示があります。このまま80m程直進すると道は突き当たりとなり、そのちょっと手前左手に車1台分、駐車スペース(方向転換用?)があります。 |
主郭東の空堀
主郭
別名 | 奥屋敷 | ||
所在地 | 名張市奈垣字竹之垣内 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 天正7(1579) | ||
築城者 | 下山甲斐守 | ||
歴代城主 | 下山甲斐守 | ||
形式 | 丘城 | ||
訪城日 | 2009/2 | 感想 | ◎ |
しもやまかいのかみじょう |
下山氏は奈垣に住した土豪であったが、自領が伊勢国司領に属していたため、伊勢国司北畠氏に仕えて勢力を拡大し、奈垣北部から羽根・比奈知を勢力範囲とする南伊賀の有力土豪となった。天正年間初め頃、下比奈知に下山甲斐守城を築き、天正7年(1579)第一次天正の乱の際に、織田軍侵攻の手引きをしたため伊賀土豪らの恨みを買い、下比奈知の下山甲斐守城を出て、この奈垣に下山甲斐守城を築き居住した。下山氏は天正9年の第二次天正の乱で汚名挽回とばかりに伊賀の土豪と共に脇坂安治の軍勢に切り込んで壮烈な戦死を遂げたと伝えられるが、諸説あり真相は不明である。(『日本城郭体系10』新人物往来社発行 参照) |
お城の表示がある所から入り、城跡は入っていった正面やや左手の小山です。主郭には土塁が巡り、その外側には空堀があります。主郭の西側に虎口があり、虎口を出るとすぐ左前方に土塁の高まりがあり枡形を形成しています。主郭の東側にも曲輪があり、その東には堀切があります。城跡は遺構がほぼ完存で、木が植わっているものの遺構の確認がしやすいです。 |