城跡の地図
浦添城
別名
所在地 浦添市仲間2丁目
遺構等 復元ようどれ、曲輪、土塁、石垣、碑、説明板
現状 公園
築城年 13世紀
築城者 英祖
歴代城主 英祖、察度
形式 山城
訪城日 2006/2/25
【道案内】


【感想・メモ】
うらそえぐすく
【歴史】
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国道330号「浦添太平インター」を下り、「大平」信号を南東へと県道38号に入ります。800m程南東へ進んだ「安波茶」信号を左折して県道153号に入り、300m程北上した信号を過ぎてから2本目の路地を右折します(道路に案内が出ています)。道なりに500m程東進すると左手に「浦添グスク・ようどれ館」があり、公園が見えます。この正面の公園内に城跡はあり、無料駐車場が完備されています。
入口に案内板があり、入ってすぐ左手に下りていくと復元した「浦添ようどれ」があります。「ようどれ」とは「夕どれ」=夕凪のことで、「死者の世界」という意味だそうです。ようどれから一旦戻り、奥へ行くと、上から少しだけようどれを見下ろせます。この奥に石垣があります。広場に出ると低い城壁があり、奥に展望台や平和の碑があります。また、ディーグガマと呼ばれる墓地が低い位置にあり、石灰岩と木々に囲まれています。そこから南側へ階段を下りていくと城壁が残り、浦添城の祈念碑もありました。城内には「カガンウカー」や「カラウカー」と呼ばれる井戸もありました。全体的に遺構はあるものの、ダイナミックさには欠けているかな?といった印象でした。一番の見所は「ようどれ」かな?
浦添グスクは13世紀頃に築城された琉球国中山の王宮で、15世紀初め尚巴志によって滅ぼされ、王宮が首里城へ移された後、一時廃城となった。16世紀に再び浦添按司の館となったが、1609年、薩摩軍の琉球侵攻で焼き討ちされ廃城となった。浦添ようどれは浦添城の北側崖下にある王陵で、13世紀に英祖王が造営し、1620年に尚寧王陵が増築した。