松浦郡志佐郷今福の地に居た松浦清は、宇野御厨の執行となり、相神浦をも領していたが、鎌倉幕府成立後も本領安堵され地頭御家人になったと思われる。清の子・蕘は相神浦の地を重視し、建仁2年(1202)武辺の地に城館を構えた。これが武辺城である。その後も、惣領相神浦松浦氏は武辺城を支城としたが、長禄年間(1457-60)、武辺城を本拠に移した。しかし、延徳2年(1490)本城を大智庵城に移し、武辺城は支城とした。 |
武辺城 |
別名 | 相神浦城 |
所在地 | 長崎県佐世保市竹辺町 |
遺構等 | 曲輪、石垣、横堀、竪堀、堀切 |
現状 | 山林 |
築城年 | 建仁2(1202) |
築城者 | 松浦蕘 |
歴代城主 | 松浦 |
形式 | 丘城(比45m、標74m) |
訪城日 | 2007/11/25 |
松浦鉄道「上相浦駅」から北東へ約1km。国道204号から南へと県道11号に入り、相浦川を「中里橋」で渡ります。300m程南下して鋭角に左折し、100m程東進して右折します。300m程進んで左折すると、住宅団地の中に入ります。そのまま150m程進んで左折し(右写真の場所)、1本目の民家の間を右折すると、コンクリートの道が山へ向かっています。これを進んで左手に墓地を過ぎた左手の小山が城跡です。周辺は団地で駐車場がないため、少しはなれた余白に停めました。 |
山へ入ると、いきなり南北・東西に張り巡らされた、ちょっと変わった雰囲気の空堀が見られます。そこから南へ進むと空堀が巡った出郭があります。更に南へ進むと本丸で、東側に鉄塔が見えます。本丸から西へ進むと二重の堀切がありました。また、本丸南側には石積みもありましたが、出郭西側や堀切の北側斜面にもあるようです。山は未整備で見難いのですが、遺構は良く残っていて楽しめます。 |
たけべじょう |