神代城
別名 鶴亀城
所在地 長崎県雲仙市国見町神代丙
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 神代神社、山林
築城年 鎌倉後期
築城者 神代氏
歴代城主 神代
形式 海城
訪城日 2007/11/26
【道案内】
城跡の地図
島原鉄道「神代町駅」から南西へ約600m。神代神社が主郭となります。神社付近の余白に駐車するか、北東にある鍋島陣屋の駐車場から歩くと良いです。
【感想・メモ】
神社の北側道路は堀切で、この西側入口に城址碑があります。神社が本丸、その北が二の丸、更に北に出丸があり、二の丸の北西に三の丸があります。この城は、少し離れた場所から全他の雰囲気を楽しむのがいいと思います。特に出丸が港に接していた海城であったことが良く分かります。本丸は神社になっており、それ以外は畑地が荒れていたり、かなり藪が深く、遺構を確認することが出来ませんでした。
こうじろじょう
【歴史】
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鎌倉後期に神代氏が築城し、代々神代氏が居城した。天正5年(1577)、龍造寺隆信は平戸松浦鎮信を攻略し、更に大村純忠と結んで諫早の西郷純堯勢を討って島原半島に海上から兵を進めた。龍造寺方についた城主神代貴茂は、島原半島南部の有馬鎮貴と対立するようになり、天正12年、有馬氏を応援する薩摩の島津氏の軍勢が上陸すると、龍造寺氏も軍勢を神代に率いてきたため、神代城は本陣となった(沖田畷の戦)。この戦いで龍造寺隆信は討死し、神代貴茂は謀殺され、神代氏は滅亡した。城には有馬氏の代官が一時置かれたが、天正15年、豊臣秀吉の九州征伐に際し、鍋島直茂に論功行賞として神代領3千石が与えられ、以後、鍋島氏の飛地として陣屋が置かれた(鍋島陣屋)。