平戸城 |
別名 | 亀岡城、日の岳城 |
所在地 | 長崎県平戸市岩の上町 |
遺構等 | 復興天守、石垣、空堀、曲輪、乾櫓、狸櫓、説明板 |
現状 | 亀岡公園 |
築城年 | 慶長4(1599) |
築城者 | 松浦鎮信 |
歴代城主 | 松浦 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2007/11/25 |
亀岡公園が城。公園西側道路を北へ進む(一方通行)と中腹に亀岡公園用の無料駐車場があり、そこから歩いて登ります。 |
平戸城へは、西側の市役所方面から北虎口門を経由するルートもあります。私は、南側の大手門から亀岡神社(二の丸)を経由するルートで見るのが好きです。南側の「猶興館高校」付近でも石垣が見られます。現存の櫓や石垣を楽しめるお城です。 |
松浦党は平安末期から瀬戸内海の村上水軍と並ぶ鎮西の水軍で、上松浦と下松浦に分かれて勢力を誇っており、下松浦の棟梁であった26代・松浦法印鎮信が豊臣秀吉の九州征伐に従い、松浦郡の一角と壱岐を安堵され、慶長4年(1599)平戸の亀岡に日の岳城を築城した。これが平戸城の始まりだが、家督を継いで日の岳城主となった松浦久信が急死し、徳川家康が豊臣秀吉と親交の深かった松浦家に疑いを持ったため、松浦鎮信は疑いを晴らすため、慶長12年、自ら城を焼き捨てた。その後、日の岳城の北方山中に「御館」を築いて居館とした。元禄15年(1702)、29代・松浦天祥鎮信は幕府の築城許可を得て、軍学者山鹿素行の教えを受けた縄張りで築城を開始し、享保3年(1718)完成した。以後、平戸城は松浦天祥鎮信から松浦氏12代が続き明治を迎えた。 |
ひらどじょう |