木山城 |
国道443号「益城町寺迫」信号から200m程南下して左折し、すぐの突き当りを左折すると右手が城跡公園です。少し道が狭いですが、すぐの路地を右折して坂を上がると駐車場が完備されています。 |
別名 | 松丸城 |
所在地 | 熊本県益城町寺迫字城の本 |
遺構等 | 曲輪、碑、説明板 |
現状 | 木山城跡公園 |
築城年 | 戦国期 |
築城者 | 木山氏 |
歴代城主 | 木山 |
形式 | 山城(比25m) |
訪城日 | 2009/6 |
この地は鎌倉時代以来、阿蘇氏の一族木山氏の本拠であった。木山の地は、北は阿蘇郡瀬田を経て背後から菊地と連絡し、南は甘木を経て御船・甲佐・海東・八代へとつなぐ南朝方の連絡路の重要な地点の一つであった。木山城は『阿蘇文書』に康永3年(興国5、1344)肥後国木山松丸城として、木山氏の名は貞和2年(興国7、1346)に表れている。天文16年(1547)、木山惟久が赤井城を築いて移ったといわれるが、その後も廃城とはならず家老の竹崎筑後などが城代を務めた。天正13年(1585)島津氏の肥後進出により落城し、その後秀吉の九州征伐で小西行長が支配したが、関ヶ原合戦にて家康に従った加藤清正によって小西氏が攻められ、城の歴史に幕を閉じた。(『日本城郭大系』、現地説明板参照) |
きやまじょう |
ごく普通の公園といった雰囲気で遺構は良くわかりませんでした。お城の北端には城の本古墳といって4世紀末〜5世紀初頃の円墳があります。 |