栃木城 |
JR両毛線・東武日光線「栃木駅」から東北東へ約1.1km。栃木第四小学校の東側。栃木駅北方200mの「河合町」信号を東へと県道31号に入り、700m程東進して左折します。100m程北上した1本目を右折し、100m程東進した1本目を左折します(道が狭いので注意)。60m程北上して右折した突き当たり正面に城址公園があります。この付近一帯が城跡です。 |
別名 | |||
所在地 | 栃木県栃木市城内町1丁目 | ||
遺構等 | 土塁、水濠、説明板 | ||
現状 | 栃木城址公園、宅地 | ||
築城年 | 天正19(1591) | ||
築城者 | 皆川広照 | ||
歴代城主 | 皆川 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2009/4 | 感想 | △ |
東二の丸北部の土塁と堀が残っていて、そこが城址公園になっています。水堀のところは護岸工事されていてちょっと雰囲気を壊していますが、公園内には説明板があります。城跡はかなり広かったようですが、現在は学校や宅地などになっています。 |
とちぎじょう |
天正19年(1591)、皆川広照が築城したといわれる。天正18年、豊臣秀吉の小田原の役の際、皆川広照は北条方として小田原城内におり、皆川城は上杉景勝・浅野長政らに攻められ落城した。広照は秀吉に投降して、翌年皆川城のかわりとして栃木城を築いたと思われる。慶長14年(1609)、広照は家康の怒りにふれたため城は破却された。(現地説明板、『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照) |