高根沢城 |
別名 | 権現山城 | ||
所在地 | 栃木県高根沢町上高根沢 | ||
遺構等 | 碑 | ||
現状 | 本田テストコース、山林 | ||
築城年 | 南北朝時代? | ||
築城者 | 高根沢兼吉? | ||
歴代城主 | 高根沢氏 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2010/4 | 感想 | − |
県道64号と県道156号が交差する「上高根沢」信号から県道64号で800m程西進して左折します。一面田んぼですが、700m程程南下した右手の民家脇に城址碑があります。ここから西へ上がった本田のテストコースが城跡です。 |
南北朝時代、宇都宮七代城主・景綱の弟盛綱の後裔高根沢兼吉が築城したと伝えられる。ただし、高根沢氏の祈願所であった安住神社に所蔵されていた神鏡は高根沢胤吉が奉納しており、鎌倉時代に高根沢氏がこの地方を領有していたことから、胤吉が築城したとの説もある。高根沢城は宇都宮城の支城としての役割を果たしていた。観応2年(1351)高根沢兼吉は上野国那波荘の合戦で宇都宮公綱に従い足利直義軍と戦って討死した。兼吉死後、益子宗之が高根沢郷を領有し高根沢氏を再興したといわれるが、慶長2年(1597)宇都宮氏の改易に伴い高根沢城も廃城となった。(『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照) |
たかねざわじょう |
城址碑の所から急斜面を上がると浅間神社があります。その先の本田技研の敷地が本丸だったようです。浅間神社周辺を散策したのですが遺構は見つかりませんでした。 |