宇都宮城
別名
所在地 栃木県宇都宮市本丸町1
遺構等 土塁の一部、復元櫓、模擬土塁、模擬水堀
現状 宇都宮城址公園
築城年 平安末期
築城者 藤原宗円
歴代城主 宇都宮氏、蒲生氏、奥平氏、本多氏、戸田氏
形式 平城
訪城日 2010/4 感想
本丸部分が城址公園となっていますが、土塁の一部以外は全部作り物です。公園西側の土塁にはトンネルがあり、そこから入ると中央の目立つ位置にエレベータがあって、かなり興醒めします。またトンネルの両脇は資料が展示してあり、コンクリを型に流し込んで造った模擬土塁等の説明に、ココまでして無理に造らなくても・・・と思ったりもしました。もともと宇都宮城の門は北と南にあったようですが、西にしか出入口を作れなかったにしても、トンネルではなくせめて門にすれば良かったのに、全体にもうちょっと上手く作れなかったのか?と思いました。
【感想・メモ】

【歴史】
JR宇都宮駅から南西へ約1.2km、東武宇都宮駅から南東へ約600m。宇都宮市役所の東方約120mにある宇都宮城址公園が城跡で、公園西側と南側に駐車場があります。
平安末期、宇都宮氏の祖・藤原宗円がこの地に居館を構えたのが始まりといわれるが、天慶3年(940)藤原秀郷が館と築いたとの説もある。宗円は前九年の役の功により下野一宮(宇都宮大明神)座主に任じられ、下向して豪族化した。宇都宮城は鎌倉時代を通じて鎌倉御家人と社務職を兼ねた宇都宮氏の中世初頭の居館だった。以後、慶長2年(1597)時の城主宇都宮国綱が豊臣秀吉の命により改易となるまで宇都宮氏が居城した。江戸時代には、浅野長政(城代)、蒲生秀行が入った後、奥平、本多、松平、阿部氏などが15万石相当で居城し、18世紀後半から戸田氏が7代続いて明治を迎えた。城は南北朝期から城郭化していったが、近世城郭へと大きく変貌を遂げたのは元和5〜8年(1619-22)に城主だった本多正純の時である。

(『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)

清明台


【道案内】
城跡の地図
うつのみやじょう
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