沢村城 |
別名 | |||
所在地 | 栃木県矢板市沢 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、堀切、碑 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 文治3(1187) | ||
築城者 | 沢村満隆 | ||
歴代城主 | 沢村氏 | ||
形式 | 平山城、標高240m | ||
訪城日 | 2009/12 | 感想 | ★ |
JR東北本線「矢板駅」から東北へ約3.5km。沢地区で東北新幹線を県道52号で東へくぐり、500m程東進して左折、200m先を右折して県道52号をキープします。100m程東進すると左手に「観音寺」があります。この背後の山が城跡で、更に200m程東進した「湯泉神社」から登ります。車は観音寺駐車場に停めさせて頂きました。 |
文治3年(1187)、那須資隆の七男沢村満隆が父からこの沢村の地を与えられて築城し、沢村氏を称した。沢村城の南方約2kmにある資隆の九男朝隆が築いた稗田城と連携して、塩谷勢と対抗する那須氏の前線基地となり、当地を巡って那須・塩谷両氏の攻防が繰り広げられた。その後、沢村城は沢村氏が代々居城したが、応永21年(1414)、那須資之と弟の沢村(那須)資重が不仲となり、資之が資重の沢村城を攻撃したので、資重は興野館へ逃れ、後に稲積城を修復して移り、更に応永25年に烏山城へ移った。そこで、資之は孫の須藤五郎を沢村城に入れ、沢村氏を名乗らせたという。(『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行 参照) |
さわむらじょう |
神社から山へ入ると、すぐに横堀が見えます。城跡のすぐ北側には箒川が流れる断崖に位置しているため、本丸、二の丸は北側以外の三方向に堀が巡っています。この堀が高さと広さがあってかなり見応えがあります。また、金色の観音様が観音寺にありますが、この手前右手に「澤村城址 鷲山庭」と刻まれた石碑があります。 |