大田原城 |
別名 | 龍体城 | ||
所在地 | 栃木県大田原市元町 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀、碑、説明板 | ||
現状 | 龍城公園 | ||
築城年 | 戦国時代 | ||
築城者 | 大田原資清 | ||
歴代城主 | 大田原 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2007/5/12 | 感想 | ○ |
公園の北西に消防署がありますが、この消防署の一番南側に三日月堀があります。二の丸は弾薬庫としても使われており、現在は慰霊塔?が立っています。本丸はかなり広く、高い土塁が巡っています。本丸北側は武器庫で入口付近には台門があり、ここにのみ石垣を用いていたようです。土塁上が遊歩道になっていて、ぐるりとほぼ一周できます。北郭は遊具のある公園になっていますが、本丸切岸がかなりかっこいいです。近くの光真寺は大田原資清が開基した菩提寺で軍扇を持った資清の像や立派な歴代墓所があります。 |
天文14年(1545)大田原資清が築城し、町島水口から移った。以後、明治4年(1871)廃藩置県までの326年間、大田原氏の居城だった。慶長5年(1600)関ヶ原合戦前、徳川家康は奥羽の情勢からこの地を重視して、城の補修を命じた。徳川3代家光は、寛永4年(1627)、常時、玄米千石を城中に貯蓄させ、奥州への鎮護とした。文政8年(1825)、火災によって焼失したが、翌年には新たに造営した。戊辰戦争では、西軍の軍事拠点となったため、東軍に攻められたが、火薬庫の爆発によって落城を免れた。 |
国道461号「河原」信号から西進してすぐに蛇尾川を渡ります。渡り終わって80m程西進した路地を左折し、道なりに300m程南下して、左へと回り込むと龍城公園となり、ここが城跡です。 |
おおたわらじょう |