中里城 |
別名 | 柳田氏居館 | ||
所在地 | 栃木県足利市福居町 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板 | ||
現状 | 宅地 | ||
築城年 | 南北朝時代 | ||
築城者 | 柳田伊豆守 | ||
歴代城主 | 柳田氏、橋本氏 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2010/6 | 感想 | ○ |
周辺はちょっと道が狭く入り組んでいますが、城跡には標柱や説明板があります。城跡内には民家が建ち並んでいるため外側からのみの見学でしたが、西側を除く三方に土塁と堀が良く残っています。また、東隅の土塁は一段高く隅櫓跡のようで、単郭で居館といった感じです。北西にある宝福寺には石造の層塔二基があり、柳田伊豆守とその夫人のものといわれています。 |
東武伊勢崎線「東武和泉駅」から南東へ約600m、「福居駅」から北北東へ約600m。宝福寺の南東に位置し、国道50号「問屋団地入口」信号を北へ入り、80m程北上した最初の路地を左折します。600m程道なりに北西へ進んだ左手が城跡で、付近の余白に駐車しました。 |
南北朝時代に足利氏の家臣・柳田伊豆守が築城した。戦国末期に中里城主だったと思われる橋本氏は館林城主赤井氏の家臣で、館林城の出城である大袋城の城主毛呂季忠が主君赤井氏に反逆した「毛呂の乱」の際、毛呂追討に従ったといわれています。 (『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |
なかざとじょう |