城跡の地図
館林城
市役所や文化会館、その東の公園などに土塁や横堀などが散在していますが、私には全体像が掴みにくくてあまり面白くないなぁと思っちゃいました。この東方にある城沼はお堀の役目を果たしていたようで、城沼の北東にある善導寺には榊原康政のお墓があります。
【感想・メモ】

復元土橋門

別名 尾曳城
所在地 館林市城町
遺構等 曲輪、土塁、横堀、石垣、碑、説明板
現状 館林市役所、文化会館、公園
築城年 15世紀
築城者 赤井照光
歴代城主 赤井、榊原、松平、徳川、秋元
形式 平城
訪城日 2009/4
【道案内】

たてばやしじょう
TOPページへ
館林市役所、館林市文化会館周辺一帯が城跡です。
築城時期、築城者は明確ではないが、江戸時代になって書かれたものの中に、赤井照光によって築かれたとするものがあり、現在確認されている館林城について書かれた最古の古文書は、文明3年(1471)に上杉軍が「赤井文六、文三」の居城である「立林(館林)城」を攻略したという記録である。 「狐の尾曳伝説」として知られているが、赤井照光が子狐を助けたところ、お稲荷様の化身の白狐が現れ、尾を曳いて城の配置を教えてくれたというものである。その後、越後の上杉氏や甲斐武田氏、小田原北条氏による三つどもえの攻防の中で、「長尾氏」「北条氏」などが館林城を支配するようになった。天正18年(1590)徳川家康関東入封に伴って、徳川四天王の一人榊原康政が十万石で城主となり、江戸時代を迎えると館林は利根川を押さえることができる東北方面の要所として、また徳川綱吉が五代将軍になってからは将軍を輩出した徳川宗家に関わる重要な地として江戸幕府に位置づけられ、最後の城主秋元氏まで江戸幕府の重鎮を務めた七家の居城として栄えた。(現地説明板参照)
【歴史】

千貫門跡