森田城
別名 龍崖城、今宮台城
所在地 栃木県那須烏山市(南那須町)森田字今宮台
遺構等 曲輪、土塁、空堀、説明板
現状 芳朝寺東の山林
築城年 文治3(1187)
築城者 那須太郎光隆
歴代城主 那須(森田)
形式 平山城
訪城日 2007/5/12 感想

登城道

【感想・メモ】
芳朝寺には、森田氏と大田原氏のお墓があります。この墓地が食い違い虎口になっているのが面白いです。この墓地からお城へと登城道があり、登りきると堀切で、すぐ北側にも堀があり、その北側が本丸です。本丸には説明板や東屋があり、土塁が巡っています。本丸の西から北側にかけて空堀が取り巻き、東には小さな曲輪がありました。一見単純な縄張ですが、しっかりした土塁、空堀と荒川が北から東にかけて蛇行し断崖になっているため、堅固な城といった印象でした。

【道案内】
城跡の地図
南那須庁舎の東側から県道10号を600m程東進した3本目の信号を右折します。700m程南下してJR烏山線を越え、更に道なりに2km程進むと道が二手に分かれますが、左前方へ行きます。そこから1km程東進した突き当りを右折し、800m程南下すると、右手に「芳朝寺」があります。このお寺の東側の丘陵上が城跡です。お寺に参拝者用駐車場があります。

横堀

もりたじょう
【歴史】
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文治3年(1187)、那須資隆の長男・太郎光隆が森田の地を分地され築城し、森田氏を称した。しかし、光隆は世継ぎに恵まれず、弟泰隆の子を養子に迎えたが泰隆にも世継ぎがなく、森田氏は2代で絶え、城も廃城となった。16世紀に入り、烏山城主那須高資が弟資胤を森田城主とし、森田氏を再興したが、天正18年(1590)秀吉の小田原征伐に那須資晴が出兵せず改易となったのに伴い、廃城となった。