岩井山城 |
別名 | 観農城、叶城 | ||
所在地 | 栃木県足利市岩井町 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、碑、説明板 | ||
現状 | 神社、山林 | ||
築城年 | |||
築城者 | |||
歴代城主 | 足利長尾氏 | ||
形式 | 平山城(比20m、標59m) | ||
訪城日 | 2010/10 | 感想 | △ |
文正元年(1466)、山内上杉氏の重臣長尾景人が足利長尾氏の初代となり、足利庄代官としてここに居城を構えた。既にこの地にあった砦を改修したものと思われる。以後、足利長尾氏の治世が6代続いた(景人・定景・景長・憲長・政長・顕長)。享徳の乱(1454-82)勃発で上杉氏と古河氏の抗争が繰り返される中、景人は上杉氏に与し、岩井山城は両勢力の前進基地として利用された。応仁2年(1468)古河方による岩井山城攻め、文明3・4年(1471・71)の上杉方の反抗、享徳の乱は収束したものの山内上杉氏と扇谷上杉氏の指導権争いにて、長享2年(1488)の上杉軍による進攻があった。永正年間(1504-21)景長は両崖山の足利城を修築して移ったため岩井山城は足利城の支城となった。永禄5年(1562)政長は館林城を居城としたため、岩井山城には城代で白石豊前守を置いたと伝えられる。城域は東西約250m、南北約300m。 (『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |
登城口に説明板があり、そのまま上がりきった郭には金比羅宮の大きな石碑がありますが結構藪です。一段下がって南へ進むと赤城神社があり、社殿前に城の標柱があります。この南側に乳房地蔵尊があり、この上が主郭で北東隅の一段高い部分が物見台のようですが、酷い藪です。全体に藪が多くて、今一つ掴みづらいお城です。青いビニールシートが覆っている部分がありますが、発掘調査をした時のもので、石垣が出てきたようです。 |
JR「足利駅」から南南東へ約1.2km。渡良瀬川を渡る「福寿大橋」の北西500mにある小山が城跡で、「福寿大橋」の300m西にある「岩井橋」を南へ渡り右折してすぐが登城口で、そこに2台程駐車できます。 |
いわいやまじょう |