伊王野城
別名
所在地 栃木県那須町伊王野
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、説明板
現状 山林、城址公園
築城年 長享元年(1487)
築城者 伊王野氏
歴代城主 伊王野氏
形式 山城(比110m)、標高330m
Pから公園まで約2分
訪城日 2010/1 感想

主郭堀切

城址公園部分

右図の三の丸部分が城址公園になっていて、駐車場所から2分程で到着します。この郭はとても広く土塁が取り巻き、東側に虎口があります。この東端を北へ進むと神社があり、その背後に大きな堀切があります。ここから先、城跡は藪と木立で見難いのですが、横堀と堀切が入り組んでいてとても見応えがあります。右図の北の郭より更に北に2つ程郭はあり、その先東北に折れて郭が続きます。この付近は伐採した木が置かれていたため、郭内は見やすいものの歩きにくかったです。城域は広く、全体にとても素晴らしいお城なので、藪でなければもっと感動したと思います。
【感想・メモ】

【道案内】
城跡の地図
国道294号と県道28号が交差する「伊王野」信号から国道294号を北上し、霞ヶ城の案内板に従って右折します。少し進むと右手に広い駐車場があり、お城の説明板がありますが、更に道なりに上がりきると公園の真下まで車で行けます(2〜3台駐車可)。
延応元年(1239)、那須家から伊王野の地を分知された藤原資長は伊王野館を築いて居住し、伊王野氏の祖となった。以後、代々伊王野氏が居住したが、長享元年(1487)北方背後にこの伊王野城を築いて移り、伊王野館は廃した(それ以前から戦時における要害が築かれていたと考えられる)。伊王野城は、大関・大田原両氏が台頭するまで那須七騎の一つとして北那須の中心的な存在だったが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで軍功がなく減封となり、本領700石のみ安堵された。寛永10年(1633)嫡子がなく伊王野氏は断絶し、城は廃城となった。伊王野城は三蔵川、奈良川、根岸川が形成する伊王野谷と芦野谷の分岐点に位置し、奥州への軍事、交通の要衝地にある。(現地説明板、『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 参照)
【歴史】
いおのじょう
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