御前城 |
別名 | 芳賀御前城 | ||
所在地 | 栃木県真岡市田町字御前 | ||
遺構等 | 碑、説明板 | ||
現状 | 田、宅地 | ||
築城年 | 承保3(1076) | ||
築城者 | 芳賀高澄(清原三郎) | ||
歴代城主 | 芳賀 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2009/6 | 感想 | − |
国道294号「御前」信号を東へと県道47号へ入り、50m程東進した1本目の路地を右折します。左手に真岡東中学校がありますが、この右手が城跡です(真岡東中学校の西側)。城址碑付近に駐車可能です。 |
真岡東中学校の南西側に城址碑と説明板があります。これによると、城址碑などがある向かい側が館の中心だったようで、道路の西側から東西に走る道路沿いに堀があったようです。 |
ごぜんじょう |
承保3年(1076)、芳賀高澄(初め清原三郎と称す)が築城し芳賀氏を称した。3代高則の妹は益子の紀正隆に嫁ぎ、その娘は宇都宮兼仲に嫁いで宇都宮2代城主となる宗綱を生んだ。4代範高の時宗綱の家臣となり、以後、芳賀氏は益子氏と共に宇都宮氏を支えた。7代高親は建久年間(1190-99)御前城を修築し、以降芳賀氏は長くこの城を居城としたが、天正5年(1577)23代高継が真岡城を築いて移ったため廃城となった。(『とちぎの古城を歩く』塙静雄著 下野新聞社発行 参照) |