芦野城 |
別名 | 御殿山、桜ヶ城、芦野氏陣屋 | ||
所在地 | 栃木県那須町芦野 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、竪堀、堀切、説明板 | ||
現状 | 城址公園 | ||
築城年 | 天文年間(1532-55) | ||
築城者 | 芦野資興 | ||
歴代城主 | 芦野氏 | ||
形式 | 平山城(比30m) Pから二の丸まで約5分 |
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訪城日 | 2010/1 | 感想 | ◎ |
二の丸はとても広く土塁が巡っていて、西南の門跡付近が面白いです。また築城記念に植えられたという「こうやまき」が天然記念物になっています。本丸と北郭の間の堀切や東郭との間の堀切もハッキリしていますが、東側2つの郭は藪になっています。北郭の北側には堀のような通路もあります。本丸からの眺望は良く、西側に芦野氏居館も見えます(田んぼの中にポツリと畑になっている所)。城内の一部に水道施設があるものの、全体にとても見やすく、遺構が楽しめます。また、西北麓(那須歴史探訪館の西北)に武家屋敷(平久江家)が残っています。 |
平久江家
芦野小学校から県道28号で500m程東南へ進み、国道294号を横切ります。更に300m程直進して右折すると「那須歴史探訪館」がありますが、この南の小山が城跡です。城跡は城址公園として整備され、西麓(那須歴史探訪館の南)に無料駐車場が完備されています。 |
芦野氏は、鎌倉時代に小さな武士団の頭としてこの芦野の地と人々を支配し、奈良川の右岸に居館(芦野氏居館)を構えた。室町前期である応永年間(1394-1428)頃に芦野氏は館山城に移ったが、その後、この芦野城を築いて移った。築城時期は、天文年間(1532-55)芦野資興の代と、天正18年(1590)芦野盛泰の代の二説あるが、城の形式から前者が妥当と考えられる。江戸時代初期に芦野氏は芦野周辺の村落及び芳賀郡内の六か村を合わせて3016石を領し、無役で参勤交代する旗本(交代寄合)として明治維新までの約360年間、ここを支配の拠点とした。(現地説明板参照) |
二の丸から見た本丸方面
あしのじょう |