志村城 |
別名 | 千葉城、篠田城 |
所在地 | 板橋区志村2丁目 |
遺構等 | 空堀、碑、説明板 |
現状 | 熊野神社 |
築城年 | |
築城者 | 千葉隠岐守 |
歴代城主 | 千葉 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2008/1 |
城跡は高台になっており、熊野神社は二の丸で、その西側のマンションから志村小学校が本丸、神社東側が三の丸です。本殿の西側には本丸と二の丸の間の空堀が残っています。東京でこれだけの遺構が見られれば十分です。社殿から南へと参道を歩いて行くと、鳥居の手前右手に城址碑と説明板があります。 |
しむらじょう |
都営三田線「志村三丁目駅」から南へ約180mにある、熊野神社が城跡です。 |
志村城は、康正2年(1456)に千葉自胤が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。本丸は志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で、出井川と荒川をめぐらせ、「守るに易く攻めるに難し」といわれる堅城であったが、大永4年(1524)に北条氏綱に攻められて落城した。熊野神社は志村城二の丸にあたり、社殿は古墳上に建てられている。長久3年(1042)、志村将監が紀州から勧請したと伝えられており、千葉自胤が志村城の守護神と定めた。(現地説明板より) |