赤塚城 |
別名 | 千葉氏城、城山 | ||
所在地 | 東京都板橋区赤塚5丁目 | ||
遺構等 | 曲輪、堀跡、碑、説明板 | ||
現状 | 赤塚城址公園、赤塚溜池公園 | ||
築城年 | 康正2(1456) | ||
築城者 | 千葉自胤 | ||
歴代城主 | 千葉 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2008/1 | 感想 | △ |
下総国の守護千葉氏は、古河公方足利成氏と関東管領上杉家とが争った享徳の大乱に巻き込まれ、一族で骨肉相食む争いを繰り広げました。康正2年(1456)成氏方の軍勢に攻められた千葉実胤・自胤兄弟は、上杉家の助けをうけ、市川城を逃れて赤塚城と石浜城へ入城しました。寛正4年(1468)に兄の跡を継いだ自胤は、太田道灌に従って各地を転戦、現在の和光市や大宮市、足立区内に所領を獲得するなど、武蔵千葉氏の基盤を築きました。その後、武蔵千葉氏は、南北朝以来の領主であった京都鹿王院の支配を排除するなど赤塚の支配の強化に努め、北条氏が武蔵国へ進出してくるとこれに従い、豊臣秀吉に滅ぼされる天正18年(1590)まで勢力をふるいました。城は荒川低地に面し、東と西に大きく入り込んだ谷に挟まれた台地上にあります。(現地説明板より) |
あかつかじょう |
都営三田線「西高島平駅」から南へ約700mにある、赤塚城址公園が城跡です。 |
麓にある溜池公園の溜池は内堀の跡のようですが、今は釣堀になっています。本丸には城址碑と説明板があり、その南側の梅林が二の丸で、西側が三の丸のようですが、200m程南にある「乗蓮寺」(東京大仏があるお寺)に二の丸の石碑があるようです。本丸の西側に何か遺構がないかと探したのですが、特に見当たりませんでした。 |