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小野路城
別名 結道城
所在地 東京都町田市小野路町
遺構等 曲輪、土塁、堀切、横堀、井戸、説明板
現状 山林
築城年 承安年間(1171-74)
築城者 小山田重義
歴代城主 小山田氏、北条氏、扇谷上杉氏、大石氏
形式 平山城(比10m、標80m)
訪城日 2011/2 感想
都道156号「野津田高校入口」信号から側道に入り、40m程南下して右折します。畑を見ながら400m程道なりに北西へ進んで右手に「町田歴環管理組合事務所」を過ぎ、更に400m程進むと(途中から山道となります)図面付きの説明板があります。この先の丘陵上が城跡です。山道に入る手前で余白を探して駐車するか、周辺は道が狭いので少し遠いですが野津田公園西駐車場を利用させて頂くと良いでしょう。また、この道以外にもハイキングコースがあるようなので、他からもアクセス可能なようです。

主郭

【道案内】
城跡の地図
承安元年(1171)小山田城を構えた有重は、その子二郎重義を小野路城に配した。小山田氏は関東八平氏の祖高望王の孫である政経から出ており、小山田別当としてこの地に移り住んだ有重が初めて小山田氏を称した。有重の長男稲毛重成は同族の畠山重忠を讒言によって謀殺したが、その直後重成の虚言が発覚し元久2年(1205)重成は誅殺され、小山田・稲毛・榛谷などの一族は滅亡し、小山田荘も北条氏の手に移った。その後、文明8年(1476)長尾景春の乱の際、小野路城は小山田城と共に扇谷・山内両上杉氏の拠点となったが、翌文明9年3月、景春の家臣宝相寺・吉里勢に攻められ落城したと思われる。その後、後北条氏の支配下となり、由井の大石氏が領有していたと思われる。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『多摩丘陵の古城址』田中祥彦著
現地説明板
主郭には神社が鎮座し、北側に土塁があります。主郭背後には堀切があり、手前にも横堀が見られます。主郭の南にも郭があるのですが削平が甘いです。また、歩いてきたハイキングコースを西へ進むと右手に「小町井戸」もあり(主郭の北下)、お城の水の手だったようです。このハイキングコースは古くからある街道といった雰囲気でした。小山田城の東南東約1.5kmに位置しています。
【感想・メモ】

【歴史】
おのじじょう