文明年間(1469-87)、太田道灌が築城したといわれる。稲付城は、鎌倉時代から岩淵宿が、室町時代には関が設けられた要衝となる街道沿いで、三方を丘陵に囲まれた土地であるため、江戸城と岩槻城を中継する役割を担った。道灌死後、孫の資高が居城し、後に後北条氏に仕えた。その子・康資は後北条氏の家臣として岩淵郷五ヶ村を所領した。明暦元年(1655)、道灌の孫・太田資宗は静勝寺の堂舎を建立し、道灌とその父資清の法号にちなんで寺名を自得山静勝寺と改めた。
稲付城
別名
所在地 北区赤羽西1丁目
遺構等 碑、説明板
現状 静勝寺
築城年 文明年間(1469-87)
築城者 太田道灌
歴代城主 太田
形式 平山城
訪城日 2007/5/11

【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
いなつけじょう
【歴史】
TOPページへ
JR「赤羽駅」から南西へ約250mにある、「静勝寺」が城跡です。お寺の南側からアプローチすれば、車でお寺の南西にある参拝者用駐車場まで来られます。
城跡は高台になっているので、駅の西口から西へ歩いていくとすぐに分かります。お寺の東側階段下に城址碑があり、山門付近に説明板があります。また、お寺の中に、太田道灌の木造坐像が安置された厨子があったのですが、必死に厨子の中を覗いてもよく見えませんでした。