平塚城 |
別名 | 豊島城 |
所在地 | 北区西ヶ原2丁目 |
遺構等 | |
現状 | 平塚神社 |
築城年 | 平安末期 |
築城者 | 豊島近義 |
歴代城主 | 豊島 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2008/1 |
城跡は高台にある平塚神社ですが、遺構は何もありません。豊島近義が八幡太郎義家の鎧を埋めたと言う甲冑塚は本殿の裏にあるらしいのですが、フェンスに鍵がかかっていて入れませんでした。ちなみに、この甲冑塚は高さがなかったため平塚とも呼ばれたそうです。 |
ひらつかじょう |
JR京浜東北線「上中里駅」から南へ約80mにある平塚神社が城跡です。 |
平安末期、豊島近義が築城した。後三年の役(1083-87)での奥州征伐の凱旋途中に八幡太郎義家兄弟が平塚城を訪れた際、手厚いもてなしに感謝して鎧一領と十一面観音を近義に下賜した。近義はその鎧を地に埋め塚を築き、城の鎮守とした。塚は甲冑塚と呼ばれた。鎌倉時代末期、豊島氏は石神井城を築いて居城とし、平塚城はその支城となった。文明8年(1476)、豊島氏当主泰経と弟・豊島城主泰明は長尾景春に呼応して関東管領上杉氏に反旗を翻し、石神井城、練馬城、平塚城で挙兵したが、文明10年、太田道灌に攻められ落城した。 |