小見川陣屋 |
学校になっているので何も無いかも?と思いながら行ったら、運動場の真中に何か碑が見える。もしやと思い、期待しながら近づくと、大きな木の前に標柱と石があり大喜び。ふと周りを見渡すと、職員室の前にも説明板らしきものがある。。。ということで、行ってみたらやっぱり説明板。期待していなかっただけに、陣屋跡を示すものがあり嬉しくなりました。いい学校だーと思いながら辺りを見渡すと、あちこちに視力検査する際のランドルト環があって、意味も無く楽しくなりました。 |
別名 | 内田氏陣屋、橋向城 | ||
所在地 | 千葉県香取市(小見川町)小見川館ノ内94 | ||
遺構等 | 碑、説明板 | ||
現状 | 中央小学校 | ||
築城年 | 永禄年間(1558-70) | ||
築城者 | 正木時忠 | ||
歴代城主 | 正木、内田 | ||
形式 | 陣屋 | ||
訪城日 | 2005/7/28 | 感想 | − |
おみがわじんや |
JR成田線「小見川駅」から北へ約400m。小見川地区の国道356号「本町」信号を西へと黒部川沿いに入ります。300m程行った左手に「中央小学校」があります。この小学校一帯が陣屋跡です。 |
校舎前の説明板 |
永禄年間(1558-70)、正木時忠が下総侵攻の際に設置した陣屋。天正18年(1590)、松平(深溝)家忠が武蔵忍から1万石で入り、忠利が嗣いだ。その後、徳川幕府の大老となる土井利勝がこの地を領すが、後に下総佐倉へ移った。領主が何度か入れ替わった後、約100年間、幕領や、佐倉藩領となった。時代は下って、下野鹿沼より内田正親が入って小見川藩が復活する。内田氏は家光の小姓だった内田正信が累進して1万石を領し、下野鹿沼に居所を定めた。この時には、小見川領は内田氏の所領となっていた。正信は家光に殉死し、次代・正衆の時、所領付け替えもあり、小見川領1万石、下野鹿沼の居所付きの所領は5千石であった。次の正偏は心神喪失して妻女に斬りつけ、蟄居となった。嫡子正親は減封の上、1万石が与えられ、居所を小見川に移した。この時、小見川藩が再度成立した。 |
陣屋址碑 |