前ヶ崎城 |
もともと南北に3つの郭が連なっていたようですが、一番北の主郭部のみが城址公園となり、他はかなり破壊されています。公園に土塁が残り、南西は一段高い櫓台になっています。その背後(南)には空堀もあります。 |
別名 | |||
所在地 | 千葉県流山市前ヶ崎 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、説明板 | ||
現状 | 前ヶ崎城址公園 | ||
築城年 | 16世紀半ば | ||
築城者 | |||
歴代城主 | |||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2010/1 | 感想 | ○ |
まえがさきじょう |
JR常磐線「北小金駅」から北へ約1.8km。流山運転免許センターの1本東側通り沿いにある「前ヶ崎城址公園」一帯が城跡です。 |
16世紀半ばから天正18年(1590)頃まで、松戸市小金城を本拠とする高城氏の支城として機能したと考えられる。西・北・東側の三方を坂川とその支谷に囲まれた、標高16mの細長い台地上に立地し、水田面とは11mの比高がある。現在地から南160mと350mの二箇所に、かつて堀切が存在していたといわれ、3つの郭を直線状に配置した城と想定される。付近には刑部郭・追手橋・馬場といった地名も伝承されているが、城の施設と直接関連するかは不明。公園として整備した範囲は城の中心となる主郭部分で、西側は過去の道路建設によって失われているが、東・西側には高さ3m〜4mの土塁が、東側の一部と南側には深さ約3mの空堀が見られる。また、南サブエントランスは以前から土塁が途切れており、この部分を郭の出入り口である虎口に、その西側の最も高い土塁を櫓跡とする考えもあるが、郭の構造や建物配置は明らかになっていません。(現地説明板参照) |