池和田城 |
別名 | |||
所在地 | 千葉県市原市池和田 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、井戸 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 鎌倉時代 | ||
築城者 | 和田正治 | ||
歴代城主 | 和田、多賀、内藤 | ||
形式 | 平山城(比32m) | ||
訪城日 | 2005/7/30 | 感想 |
いけわだじょう |
小湊鉄道「上総鶴舞駅」から東へ約900m。池和田地区の「大宮神社」から700m程東進した左手の山が城跡です。「鯉見橋」の北側、「池和田」バス停のすぐ北東側の山です。 |
縄張図をちゃんと見ずに、間違えて違う山に行ってしまいました。道理で何もないはずです。う〜ん、無残!後からゆっくり資料を見たら、簡単な場所だったのにな。 |
鎌倉時代、相模の豪族・三浦氏の一族であった和田正治が築城した。武田信長が真里谷城・庁南城を築いた康正2年(1456)頃には、上総武田氏の支城であった。大永年間(1521-28)以後、多賀氏が居城した。天文7年(1538)の第一次国府台合戦、永禄7年(1564)第二次国府台合戦で、多賀越中守高明は里見軍として参戦したが、第二次国府台合戦で戦死し、北条氏政に攻められ落城した。天正18年(1590)小田原征伐の頃は内藤大和守が城主であったが、浅野長政らの軍勢に攻められ落城し、以後廃城となった。 |
大宮神社 |