土呂陣屋
別名 初鹿野陣屋
所在地 埼玉県さいたま市北区土呂町
遺構等 土塁
現状 宅地、畑
築城年 天正18年(1590)
築城者 初鹿野昌久
歴代城主 初鹿野氏
形式 平城
訪城日 2010/5 感想
東武野田線「大宮公園駅」から北東へ約500m、JR東北本線「土呂駅」から南東へ約700m。大宮公園駅東方から県道35号を300m程北上して右折し、100m程東進した南側一帯(この通りと県道35号、東武鉄道、見沼代用水西縁に囲まれた一帯)が陣屋跡です。

地蔵堂


【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
とろじんや
【歴史】
陣屋の中心部付近は宅地開発や畑で壊されています。土呂の地蔵堂にある説明板に陣屋のことが少し記載されています。大宮公園ゴルフ場の西側に出丸の土塁が少し残っており、そこから50m程西側にある南北の道路は堀跡と思われます。
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初鹿野昌久は甲斐国武田氏の家臣であったが、武田氏滅亡後は徳川家康に仕えた。天正18年(1590)家康の関東入国に伴い武蔵・下総両国に700石賜り、領地である土呂村に陣屋を築いた。以後幕末まで初鹿野が知行した。