滝の城
別名
所在地 埼玉県所沢市城537
遺構等 曲輪、土塁、横堀、井戸、碑、説明板
現状 城山神社
築城年
築城者 大石氏
歴代城主 大石氏、北条氏照
形式 平山城
訪城日 2009/7 感想
近くに「滝の城址公園」がありますが、間違えてこちらに行かないように注意してください。二郭内の南側は社務所となり、北側は駐車場として使われていますが、低い土塁が巡っています。この東が主郭で城山神社となり、低い土塁が取り巻き、横堀はかなり見応えあります。主郭北側の三郭は小さいながらもここも低い土塁が取り囲んでおり、二郭西側には二重堀があります。周辺を散策すると、北側民家の間に土塁や物見櫓跡、横堀等が残っています。また、城山神社から西南へ道路を下っていくと右手に「霧吹きの井戸」もあります。城跡の主要部は見やすく整備されている上に、横堀は特に見応えたっぷりで随分楽しめるお城です。
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【感想・メモ】

二郭から三郭へ向かう土橋

主郭横堀

【道案内】
城跡の地図
JR武蔵野線「東所沢駅」から東北東へ約1.8km。東所沢駅南方の県道179号「東所沢駅入口」信号から1km程東進した「本郷」信号を直進し、更に700m程進んだ信号を右折します。300m程南下した2本目の路地を左折し80m程東進した付近(二郭内となります)、もしくは400m程南下した城山神社の階段下付近に駐車可能です。城跡は城山神社一帯です。
【歴史】

現地説明板より

滝の城は大石氏によって築城されたが、後に北条氏照(八王子城主)の持城となり、滝山城(永禄13年(1570)の戦い後、八王子城に移る)の支城といわれている。永禄7年の北条氏の清戸番衆交代命令状を見ても、清戸下宿に番所があって固めてあり、城の防備と密接な関係があったと推定される。永禄〜天正年間(1557-1577)野洲(栃木県)方面出兵の折には本城から出陣している。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城攻略の際、落城したと考えられる。狭山丘陵の一角が低地に向かって落ちる急な崖を利用し、東南方を流れる柳瀬川を防御線とした平山城で敷地は約66000平方メートルである。(現地説明板参照)

たきのじょう