花崎城
別名
所在地 埼玉県加須市花崎2丁目
遺構等 曲輪、横堀、水堀、碑、説明板
現状 花崎城山公園
築城年 16世紀
築城者
歴代城主 細萱氏
形式 平城
訪城日 2009/7 感想
【道案内】
城跡の地図


【感想・メモ】
はなさきじょう
東武伊勢崎線「花崎駅」から北西へ約500mの線路沿い南側にある花崎城山公園が城跡です。
【歴史】
城跡は東武鉄道によって分断されてしまいました。線路南側は城山公園となっていますが、城跡は平城で山は無いです。公園内に堀が良く残っていて、水堀が見られることから城跡には水堀が巡っていたと思われます。また線路北側には城跡公園がありますが、こちらには遺構は何も無かったです。発掘調査をした際、畝堀、障子堀、馬出し、橋脚が出土したそうです。
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築城年・築城者は不明だが、戦国期にはここから東南2kmにある粟原城主細萱氏が支配していた。永禄4年(1561)3月、越後の長尾景虎(上杉謙信)は小田原の北条氏康を攻め、閏4月、鶴岡八幡宮にて上杉憲政より関東管領職を譲り受け、上杉の家督を相続し上杉政虎と改めた。同年8月、越後への道すがら政虎は家臣・木戸宮内少輔に命じて北条方である鷲宮の粟原城とその属城であった花崎城を攻撃させた。この時、粟原城主細萱民部少輔光仲は家臣七十余人を率いて小田原城に詰めていた。花崎城には民部少輔の長男で11歳の細萱泰秀が守っていたが粟原城と共に焼き落とされた。(『埼玉の古城址』中田正光著、『日本城郭大系』新人物往来社発行、『中世北武蔵の城』梅沢太久夫著 参照)