足利基氏館
別名 足利基氏塁
所在地 埼玉県東松山市岩殿字油免
遺構等 土塁、横堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代
築城者
歴代城主 足利基氏
形式
訪城日 2009/2 感想
弁天池は、坂上田村麻呂が岩殿山に住む悪竜を退治し、首を埋めた所にできたと言われ、カエルが住みつかないため「鳴かずの池」と呼ばれたと言い伝えられているそうです。弁天池から歩いている途中、左手の家に立派な土塁が南北にあるのが見えます。塁跡の標柱から奥へ進むと湿地があり、土塁と横堀が残っています。このすぐ北側はゴルフ場です。
【感想・メモ】
【道案内】
城跡の地図

あしかがもとうじやかた
東武東上線「高坂駅」から西へ約2.3km、高坂CCの西側。高坂駅南方から県道212号で2km程西進し、「こども自然動物公園」信号を右手前方へ入ります。700m程西北に進んで右折し、100m程北上すると左手に「岩殿老人憩いの家」があり、右手に「弁天池」があります。車はこの憩いの家に停めさせてもらい、300m程東へ歩くと左手に「足利基氏の塁跡」の標柱があります。この奥が館跡です。

【歴史】
足利基氏は足利尊氏の次男として暦応3年(1340)に生まれた。基氏は貞和5年(1349)に関東管領(鎌倉公方)として鎌倉に本拠地を置き、反足利勢力に備えた。貞治2年(正平18、1363)8月、宇都宮氏綱・芳賀高名らが上杉憲顕を攻めようとしたため、これを防ごうと鎌倉を発した基氏は武州岩殿山にて戦い破った(岩殿山合戦)。その際、本陣を置かれたのがこの館跡と思われる。しかし、基氏は長期滞在せずすぐに下野国に陣を進めたため、この館は合戦時に築いたのではなく、もともと地元豪族が築いた館を陣地として利用したと考えられる。(現地説明板、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)
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