真壁城 |
承安2年(1172)、常陸大掾多気直幹の4男・長幹が築城し、真壁氏を称した。長幹は文治5年(1189)、常陸守護・八田知家に従い奥州藤原泰衡討伐に加わり、建久元年(1190)、源頼朝に伴い上京し、勢力を拡大した。以後、2代友幹、3代時幹と続き、建長6年(1254)鹿島大使に任ぜられた。興国年間(1340-46)、6代幹重は、南朝の北畠親房に味方した。応永9年(1422)、小栗満重に味方した慶幹は、鎌倉公方・足利持氏に攻められ、応永13年、真壁城は落城したが、子・朝幹が上杉禅秀の乱で足利持氏を助け武功をたてたため、真壁氏は復興した。その後、当主・氏幹は結城政勝に従い小田氏治と戦い、天正13年(1585年)、北条氏直と戦った。慶長7年(1602)、19代房幹は柿岡城へ移っていたが、戦国期に主従関係を結んでいた佐竹氏の出羽秋田移封に伴い、角館へ移った。真壁城には浅野長重が二万石で入ったが、元和8年(1622)、笠間へ移ると、寛永元年(1624)、稲葉正勝が一万石で入城し、同五年に下野真岡藩を正勝が継ぐと廃藩となり、真壁は天領となった。 |
国指定史跡との事で、綺麗に整備された城跡をイメージしていたら全然違って、何だか笑えてきちゃいました。だって、草ボウボウで、耕作していない荒れた田んぼが一面に広がっているという感じだったから。それでも、広範囲に見渡せる土塁や空堀に、景色が開けて眺めがいいし、遺構もばっちりでいい所だ〜と満足する私。一部、復元工事をしていたけど、そんな手間と予算をかける余裕があるなら、このままでいいから草刈りして見やすくしてくれたほうが嬉しいわ〜と思うも、このまま、草で埋め尽くされていた方が、遺構が破壊されなくていいのかも?とも思ったりしました。 |
(現地説明板より) |
別名 | |
所在地 | 桜川市真壁町古城 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空掘、碑、説明板 |
現状 | 城址公園 |
築城年 | 承安2(1172) |
築城者 | 真壁長幹 |
歴代城主 | 真壁、浅野、稲葉 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2005/7/24 |
まかべじょう |
県道41号沿いの古城地区に「町民体育館」があります。この体育館付近一帯が城跡です。 |