城跡の地図
膳城
嘉吉年間(1441-44)、三善康信の末裔といわれる善氏が築城したと伝えられる。善因幡守は妹婿夫婦が桐生祐綱に滅ぼされたため、天文13年(1544)桐生に進攻したが敗北し桐生の幕下に降り、上杉謙信の東毛経略以来、善備中守宗次は謙信に従った。永禄11年(1568)謙信の部将荻田備後守と共に伊勢崎城を攻略し、元亀元年(1570)小俣城を急襲したが惨敗し、討死した。小俣、足利、金山勢は反撃して膳城を乗っ取り、金山旗下の大胡民部左衛門がこの城を守った。民部左衛門は山上城の城代も兼ねていた。天正8年(1580)武田勝頼による東上州進攻の際、民部左衛門は討ち取られ落城した(「膳城素肌ぜめ」)。膳城はこの戦いの後、廃城となったと伝えられる。(『群馬の古城』山崎一著、現地説明板 参照)
【歴史】
【感想・メモ】
兎川と湧水による湿潤な谷地の間にある丘陵性台地の先端に位置し、南北約550m、東西約300mの規模です。城跡は城址公園のような感じで整備され、案内も行き届いていて見やすいです。このお城の見所は張り巡らされた空堀ですが、特に本丸を巡る堀は横矢がかかっていて見応えたっぷりです。

本丸北側の堀

別名
所在地 群馬県前橋市粕川町膳83
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 城址公園、宅地
築城年 嘉吉年間(1441-44)
築城者 善氏
歴代城主
形式 丘城
訪城日 2015/4/4 感想
【道案内】


二郭南の堀
ぜんじょう
上毛鉄道「膳駅」から北へ約500mの「粕川歴史民族資料館」や「前橋市粕川出土文化財管理センター」一帯が城跡で、ここに駐車可。
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