足利俊綱の弟高綱がこの地に居住し、山上氏の祖となった。大永年間(1521-28)赤城山南麓の低い舌状丘端に山上氏が築城した。弘治元年(1555)、山上氏秀は北条氏康にこの城を奪われた。氏秀は観応2年(正平6、1351)足利直義方と笠懸野で戦った山上公秀の末裔と思われる。上杉輝虎(謙信)は北条勢を追って大胡民部左衛門にこの城を預けたが、永禄の頃は由良成繁の持ち城となったようである。天正2年(1574)輝虎はこの城を降し、羽生城の木戸忠朝(玄斎)らを引き取った。輝虎死後の天正8年2月、北条氏邦が山上城を攻撃したが落とせたがどうかは不明。(『日本城郭大系』、『群馬の古城(山崎一著)』参照) |
山上城 |
西側の横堀 |
三郭は遊具のある公園になっていますが井戸跡があります。この北の二郭、主郭、北郭・笹郭と間の堀切は遺構が良く残り、更にこれらの西に長々と続く横堀が見応えたっぷりです。三郭南方の墓地は物見台で、更に南側の元町集会所がある周辺が南郭です。 |
三郭・二郭間の堀切 | 三郭井戸 |
上毛鉄道「新里駅」から北西へ約1.2km、「膳駅」から北東へ約1.2km、常広寺や城山幼稚園の西にある「山上城跡公園」一帯が城跡で、南東側に無料駐車場が完備されています。 |
別名 | |||
所在地 | 群馬県桐生市新里町山上282 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、堀切、碑 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 大永年間(1521-28) | ||
築城者 | 山上氏 | ||
歴代城主 | 山上 | ||
形式 | 丘城(比10m) | ||
訪城日 | 2015/4/4 | 感想 | ◎ |
やまがみじょう |