奥平氏の祖は赤松則景で、源頼朝の挙兵に応じ鎌倉に上った子氏行は甘楽郡司となり、12世紀末奥平村に築城し、奥平氏と称した。六代定政は郷士を率い新田義貞に属し、建武中興に功があった。その後、子孫は南朝方で活躍したが、14世紀末八代貞俊は三河作手に移った。奥平在城は約200年間だった。 (現地説明板参照) |
奥平城 |
「岩平小学校」の北西で県道171号と県道200号が交差する信号を北へと県道171号に入ります。200m程北上して左折し、50m程南下して川を渡った右手に奥平城址の標柱があります。この上が城跡です。 |
城跡は現在畑や竹薮になっており、道路沿いに碑と説明板があります。申田川の南に位置し、東西約200m、南北約80mの規模だったようです。 |
別名 | |
所在地 | 群馬県高崎市吉井町下奥平 |
遺構等 | 曲輪、碑、説明板 |
現状 | 畑、竹林 |
築城年 | 応永年間(1400頃) |
築城者 | 奥平氏 |
歴代城主 | 奥平 |
形式 | 丘城(比10m) |
訪城日 | 2009/4 |
おくだいらじょう |