城跡の地図
【歴史】
上信越自動車道「吉井インター」から県道41号で藤岡市方面へ2km程南下します。左手に多比良幼稚園を過ぎ100m程直進すると県道41号は左折になるのでそれに従います。すぐに県道41号は右カーブになりますが、ここを左の道に入り、400m程北上した突き当りを右折、すぐを左折した左手が城跡です。
永享10年(1438)、関東管領上杉憲実が鎌倉公方足利持氏と争って鎌倉を退き、平井城を本拠とした。その頃、平井城西方の固めとして一郷山城と共に新堀城は築かれた別城一郭をなしていた。箕輪軍記には、永禄6年(1563)に武田勢に攻略され、上杉家の宝物もことごとく焼失したと記されていた。その後天正18年(1590)3月25日多比良豊後守友定は上杉景勝の先鋒能登守信吉に降り廃城となった。城の規模は南北250m、東西200mで、中央の本丸は南北90m、東西80mである。この外に、北郭、東郭、南郭、腰郭、帯郭等がある。(現地説明板より)
新堀城

城跡の大部分は畑や原っぱになっており、本丸南側に標柱と説明板が立っています。この周辺を歩いて回ると、本丸の土塁や横堀の跡が分かります。

一郷山城模擬天守内の展示資料より

【感想・メモ】
別名 多比良城
所在地 群馬県高崎市吉井町多比良
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状
築城年 永享10年(1438)頃
築城者 上杉氏
歴代城主 上杉、多比良
形式 平城
訪城日 2008/10
【道案内】

にいほりじょう
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