城跡の地図
名胡桃城
土橋
空堀と土橋
別名
所在地 みなかみ町(月夜野町)下津
遺構等 曲輪、空堀、土塁、馬出、土橋、碑、説明板
現状
築城年 明応年間(1492-1501)
築城者 沼田(名胡桃)景冬
歴代城主 沼田、鈴木、真田、猪俣
形式 丘城
訪城日 2003/7/28
【道案内】
ささ郭へ

【感想・メモ】
なぐるみじょう
【歴史】
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関越自動車道の「月夜野IC」から国道17号を三国峠方面へと1.5km程西進した右手にいきなり名胡桃城の看板があり、国道沿いがすぐ城跡です。
この国道が城域を貫通しているのが残念ですが、それでも見応え十分。国道の向こう側にも、空堀や土塁が残っています。ここは、とにかく土塁は高いし、空堀は深い。虎口や土橋もはっきりと分かり、見ていてと〜っても楽しいです。しかも、広ーいです。草が刈られてたおかげで遺構が見やすく、「丸馬出し」や「二の丸堀」等、案内の石碑があちこちにあって分かりやすいです。(縄張自体も単純で分かりやすいけど)広々とした曲輪に、沢山のしっかりした遺構。嬉しさのあまり駆け出したくなります。おかげで、あちこちの空堀へおりては、空堀と土塁、そして土橋を入れた眺めなど、写真を撮りまくりました。でも、本丸奥のささ郭の先の郭はさすがに藪だらけでした。このお城は、秀吉に小田原征伐の口実を与えた城で有名かな。
明応年間(1492-1501)、沼田景久の三男・名胡桃三郎景冬が沼田城の支城として築城した。天正6年(1578)、沼田城が北条氏に攻略されたため、上杉・武田方の真田昌幸が利根川の渡河点警護と沼田城奪取の拠点として城を改修し、城代として鈴木主水重則を置いた。天正8年、真田勢が沼田城を攻略し、名胡桃城を沼田城と岩櫃城の中継点とした。天正17年、豊臣秀吉が沼田地方を北条氏へ渡したが、名胡桃城は真田氏の所領のままとなったのを、沼田城代となった北条方の猪俣邦憲が不満として城を攻略し、鈴木主水は自害した。秀吉は北条氏の不信を怒り、この事件をきっかけに、天正18年、小田原征伐で北条氏を滅ぼした。