城跡の地図
長根城は、永禄年間(1560頃)長根重清が鏑川南の段丘端に築城したといわれる。長根重清は小幡信実(信貞)の弟で、氏を小河原と改めたが一般には長根と呼ぶ。武田信玄に従い、永禄9年(1566)には石倉城の守備についている。天正8年(1580)8月28日、武田勝頼の膳城素肌攻めのおり討死し、その子信盛は武田勝頼滅亡ののち、長根に帰った。天正末期に廃城となった。(『日本城郭大系』参照)
長根城
墓地のところに本丸跡の石碑と説明板があります。この奥は畑になっていますが、北側に堀跡があります。長根神社付近には土塁が残っているようですが見忘れました。
【感想・メモ】

別名
所在地 群馬県高崎市吉井町長根字上野場
遺構等 土塁、横堀、碑、説明板
現状 墓地、畑
築城年 永禄3年頃(1560頃)
築城者 長根重清
歴代城主 長根
形式 丘城(比30m)
訪城日 2008/10
【道案内】

ながねじょう
【歴史】
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国道254号「長根」信号から200m程西進した1本目の路地を左折し、50m程南下して左折します。坂を上がっていきながら道なりに300m程進むと左手に墓地があり、ここが城跡です。墓地から50m程そのまま進むと「上の場公民館」があるので、ここに駐車しました。