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群馬県のお城
くにみねじょう
国峰城
別名
国峯城
所在地
群馬県甘楽町国峰
遺構等
曲輪、土塁、堀切、竪堀、石積み、碑、説明板
現状
山林
築城年
仁治年間(1240頃)
築城者
小幡氏
歴代城主
小幡
形式
山城(城集落から比200m、小平地区から比135m、標435m)
登城時間
城集落から御殿平まで約15分、御殿平から主郭まで約15分、
小平地区から主郭まで約25分
西尾根の堀切
訪城日
2020/3
感想
◎
【道案内】
城跡の地図
物見山の地図
登城口1
:城の北約1kmの「長善寺」付近で南へ入り(ここから案内有)、城集落を経由して林道を進む(但し林道が荒れているためこの辺り(
地図
)から徒歩。城山頂上案内(下写真)(
地図
)まで徒歩約20分、そこから主郭まで約10分。
登城口2
:(
地図
):城の南の小平地区にある住民センターに駐車し、この西側のコンクリ道を進む。廃屋を過ぎ、畑跡と思われる所を過ぎた二叉路を左へ。城山頂上案内まで徒歩約15分。こちらからの方が比高差が少なく、駐車場所にも困らない。
登城口2
【感想・メモ】
堀切や竪堀が楽しめるお城で、下図以外にも堀があります。林道を挟んだ南東尾根の物見山へ向かっても堀切があり、先端にも大堀切がありますが、辿り着くのに20分程かかります。麓の田んぼの中には(長善寺南側道路を東進すると道路右手角に案内板有)外濠が蓮田になって残っており、城域の広さに改めて驚かされます。
【歴史】
仁治年間(1240頃)、小幡氏が竹の内の館を中心に居住していたと思われる。小幡氏は武蔵児玉党の一員で、西上州の主領として勢力を伸ばし、関東管領山内上杉氏の重臣として活躍した。上杉氏亡命後は武田信玄に通じたが、
箕輪城
主長野業政が小幡重定を追い払い一族の小幡景定を城主とした。永禄4年(1561)信玄は国峰城を奪い信実(重定)を置いて上州攻略の拠点とした。天正10年(1582)武田氏滅亡後、信実は織田の滝川一益配下となったが、同年小田原の役に出陣し、国峰城には子小幡信秀が守ったが、前田利家率いる藤田信吉に落とされ廃城となった。(現地説明板参照)
城山頂上案内
御殿平
東の竪堀
堀切脇の石積み
物見山の堀切
外濠
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