平井金山城 |
別名 | 平井詰城 |
所在地 | 藤岡市下日野字金井乙203 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、石垣、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 永享10(1438) |
築城者 | 上杉憲実 |
歴代城主 | 上杉、北条、長尾 |
形式 | 山城(比160m) 登城口から主郭まで約25分 |
訪城日 | 2008/10 |
登城口に杖が置いてあるので、持参していなければ利用すると良いでしょう。1〜2分も登ると館跡で、やけに立派な石垣があったりします。往時のものというより畑として利用した時のものかなぁ?そこから15分も登れば物見台です。物見台から10分程で本丸に着きます。本丸の北方には岩盤を掘って作られた井戸曲輪があり、更に北方には櫓門跡や塀跡など石垣も見られます。このお城の見所は何といっても虎口で、あとは堀切、石垣など一通りの遺構が見られ、楽しめます。 |
縄張図(一郷山城模擬天守内展示資料より)
県道175号と173号が交差する「金井」信号を南西へと県道175号に入り、800m程進んだ右手に(左手に日野小学校がある手前)登城者用の駐車場があり、その奥が登城口です。登城道は整備されています。 |
井戸曲輪
塀跡
本丸
永享10年(1438)鎌倉公方・足利持氏と関東管領・山内上杉憲実との間で勃発した永享の乱の際、上杉憲実が総社城主長尾忠房に命じて築城させたという説と、応仁元年(1467)越後から入った上杉顕定が築城したという説がある。いずれにしても、平井城の詰城として利用されていたと考えられる。天文21年(1552)北条氏康によって落城し、上杉憲政は越後の長尾景虎を頼って逃れた。翌天文22年、長尾景虎の配下である平子氏らにより奪回された。永禄3年(1560)長尾景虎が関東における拠点を厩橋城(前橋城)に移したため平井城は廃城となったが、詰城である平井金山城も同時に廃城となったと思われるものの詳細不明。 (平井城および平井金山城の説明板参照) |
ひらいかなやまじょう |