城跡の地図
【歴史】
深沢城
本丸は東西約40m、南北約55mの規模で、北・東・南の三方に空堀が巡り、西側には腰曲輪があり、西北隅には櫓台があって八幡社が祭ってあります。本丸の東側が二の丸で、北側にある正円寺の北と東にも空堀が巡っています。正円寺の方が高い位置にあるのに、何でこんな低い所が本丸なんだろう?とても不思議です。また、正円寺には阿久沢氏累代の墓があります。
【感想・メモ】

正円寺北の横堀

本丸を見下ろす

別名 神梅城、城宿廻
所在地 桐生市(黒保根村)黒保根町宿廻字城
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 正円寺
築城年 永禄年間(1558-70)
築城者 阿久沢氏(黒川郷士)
歴代城主 阿久沢
形式 崖端城
訪城日 2009/4
【道案内】

ふかざわじょう
TOPページへ
わたらせ渓谷鉄道「本宿駅」から北西へ約600m。本宿駅から国道122号で200m程北東へ進んだ「宿廻」信号を西へと県道335号に入ります。1km程道なりに進んで右折し、400m程東進すると左手に「正円寺」があります。この南側からお寺周辺一帯が城跡で、お寺に参拝者用駐車場があります。
永禄年間(1558-70)、渡良瀬川流域の黒川郷士・阿久沢氏が築城した。天正2年(1574)3月、上杉謙信が阿久沢兄弟を降して深沢城に越後勢を入れたが、天正6年謙信死後、金山城主由良国繁は黒川郷士を幕下に従えた。天正13年、真田勢が占拠した五覧田城を、翌年国繁は阿久沢彦次郎に攻略させ沼田への進撃路を開かせた。天正15年2月、国繁は彦次郎を先陣として沼田を攻撃したが失敗した。天正18年小田原の役の際、阿久沢能登守らは小田原に立て籠もったが、北条氏滅亡と共に深沢城は廃城となり、阿久沢氏は帰農した。(『日本城郭体系』参照)