手取城
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二の丸と西の丸の間の横堀
別名
所在地 和歌山県日高川町(川辺町)和佐
遺構等 曲輪、土塁、堀切、横堀、竪堀、石積み、のろし台、碑、説明板
現状 山林
築城年 南北朝時代
築城者 玉置大宣
歴代城主 玉置
形式 山城(比160m、標171m)
登城口から東の丸まで約20分
訪城日 2012/1 感想
JR紀勢本線「和佐駅」から東北東へ約2.1km。和佐駅東から県道192号で600m程北上して右折し、県道191号に入ります。300m先で191号は右手の所を直進し、更に700m程東進すると道路に「手取城」の案内があるのでそこを左折します(ただし道が狭いので車長4m未満位の小型車以外はここから歩いた方が良いと思います)。道は細いですが城跡(東の丸)まで車で行く事ができ、東の丸に駐車できます。
南北朝時代に玉置大宣が築城したといわれる。その後、玉置氏が10代にわたり居城し、亀山城の湯川氏と親密な関係にあった。天正13年(1585)、豊臣秀吉の紀州征伐の際、玉置直和は秀吉方についたため、秀吉に抵抗した湯浅直春によって手取城は落城した。 しかし、その湯川直春は秀吉によって滅ぼされている。

登城口

【歴史】
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図
東の丸
【感想・メモ】
私は1回は車で、1回は徒歩で登城しました。林道で「古城行道」の標柱を過ぎると竪堀が幾つか見えてきます。車だと東の丸まで上れ、いきなり長い土塁や石垣、説明板が目に飛び込んできます。東の丸の更に東は3段の郭があり、下りると堀切や石積みがあります。東の丸から西へ行くと二の丸で城址碑があり、イスとテーブルもありました。この二の丸からの眺めが最高!西側にある西の丸やのろし台がくっきり見えます。城跡は整備され、視界が開けてすごく気持ちよいです。二の丸の北に本丸があり、その北には段郭と堀切が4つあります。二の丸と西の丸の間には横堀があり、北側の藪の奥も堀は続き、手前には石積みがあります。西の丸には変な場所に立派な土塁があり、更にポカリと高台になったのろし台があります。この西の丸の西側にもまだ堀切があるのですが、あまりに酷い藪に途中で撤退。この西の堀切から竪堀となって落ちているのが、登城途中に林道から見えた竪堀です。城跡には桜の木が沢山植えられ、花見スポットのようです。

てどりじょう

西の丸の西方堀切

本丸北方の堀切

東の丸の東下石積み