南北朝から戦国時代にかけて有田・日高・牟婁郡主要部を支配した湯川一族の本城だった。湯川氏は甲斐武田氏の一族といわれ、武田三郎忠長がこの地に住み山賊を討ち取った。その功により六波羅探題より牟婁の芳養荘を治める事が許されたという。その後、芳養内羽位に館を構え湯川と改姓した。忠長没後、光長は防備を強化させ、その長子光春は日高へ進出し亀山城を築いた。天文18年(1549)、湯川11代直光の時、館を山麓に移した(小松原館)。天正13年(1585)、12代直春の時、羽柴秀吉の紀州進攻によって廃城となった。 参考資料 『和歌山県中世城館跡詳細分布調査報告書』 和歌山県教育委員会発行 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
亀山城 |
主郭 |
「御坊駅」から北西へ約500mの亀山が城跡。亀山の南西約400mにある「丸山中央集会所」に駐車し、ここから登りました。集会所の東側道路に史跡めぐりの案内(矢印)があり、城跡まで要所に案内があります。 |
別名 | 湯川城、丸山城 | ||
所在地 | 和歌山県御坊市湯川町丸山 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、碑、説明板 | ||
現状 | 城址公園、山林、畑地 | ||
築城年 | 室町初期 | ||
築城者 | 湯川光春 | ||
歴代城主 | 湯川氏 | ||
形式 | 山城(比115m、標121m) 登城口から主郭まで約13分 |
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訪城日 | 2012/1 | 感想 | ○ |
集会所に城址碑があります。城跡は公園整備され、主郭にはしっかりした土塁が巡り、北側には湯川氏の供養塔があります。この北側も郭なのですが畑になっていました。主郭南西の郭にも土塁が巡り、南東の郭は東西に細長く、こちらにも登山道があります。道を下りていくと井戸と思われる窪みや虎口と思われるものがありました。ここが大手なんでしょうか? |
かめやまじょう |