新宮城
戦国時代は堀内氏がここを中心に熊野地方を支配していたが、関ヶ原の戦いで西軍につき改易され、代りに浅野幸長が紀伊に入国し、この地には浅野氏の家臣が入った。元和元年(1615)一国一城令により廃城となったが、再建の許可が出た。元和4年、浅野忠吉(浅野幸長の弟)が新宮に入封し丹鶴山に築城を開始したが、翌年備後三原に移封された。代わって家康の息子・徳川頼宣が入り、新宮城には家老の水野重仲が遠江浜松より入城し、水野氏支配のまま明治を迎えた。
【歴史】
各曲輪へ入る桝形虎口や切込はぎ・打込はぎの石垣が素晴らしく、本丸から見える熊野灘、新宮の町並、熊野川の眺望にも感動します。出曲輪から本丸を見ると橋が架かっていた形跡があり、外からは水抜きも見られます。船着場へは松の丸から下りて行け、船揚げ用のスロープ2本が石垣で固められています。川の少し向こう側に川を埋め立てて作った道があり、そこから眺めると船着場の全貌が見えます。
出曲輪
水抜き
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【感想・メモ】

城跡の地図
【道案内】
JR「新宮駅」から北北西へ約700m。国道42号で熊野川を南へ渡ってすぐの「速玉大社前」信号を左折します。500m程東進した左手にある丹鶴公園が城跡で、公園に無料駐車場が完備されています。
船着場
別名 丹鶴城
所在地 和歌山県新宮市新宮
遺構等 曲輪、石垣、堀、天守台、碑、説明板
現状 丹鶴城公園
築城年 元和4(1618)
築城者 浅野忠吉
歴代城主 浅野、水野
形式 平山城
訪城日 2011/12 感想
しんぐうじょう