龍松山城 |
主郭土塁 |
別名 | 市ノ瀬城 | ||
所在地 | 和歌山県上富田町市ノ瀬 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、石積み、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 天文年間(1532-55) | ||
築城者 | 山本判官忠行 | ||
歴代城主 | 山本氏 | ||
形式 | 山城(比80m) | ||
訪城日 | 2011/12 | 感想 | ◎ |
山城なのに、車で上がっていける楽々なお城です。車で二郭まで行き、そこから主郭切岸を見るとなかなか壮観で、石積みが少し見られます。広々とした二郭には土塁が巡っている部分があり、一部外側の堀も見られます。主郭は虎口が明瞭で、土塁がぐるりと巡り、北側には碑やお墓があり、南側にはお城の名前が書かれた看板があります。キレイに整備してあるのでとても見やすいです。また、二郭北から下を見ると二重堀切があり、かなり立派で楽しめます。 |
二重堀切 |
国道311号「稲葉根トンネル」を東へ抜け、1.2km程東進すると道路左手に「龍松山城」の案内が大きく出てるので、そこを左折します。あとは道なりに山を登っていくと城跡です。 |
天文年間(1532-55)、山本判官忠行が地頭職としてこの地に赴き、一乗寺に政所を置いて、龍松山に城を築いた。2代目・忠継は城を修築した。天正13年(1585)、豊臣秀吉の紀州征伐の際、杉若越後守を大将に三千の兵が龍松山城を攻めたが、城主・山本康忠は総勢300人で約3ケ月に亘り豊臣勢と戦った。しかし、和議を講じた。天正14年、康忠は豊臣秀長を訪ねに大和郡山城へ行った帰路、藤堂高虎邸て暗殺された。 |
りゅうしょうさんじょう |