古和田城 |
光円寺 |
別名 | 和田城 | ||
所在地 | 和歌山県紀の川市(打田町)古和田689 | ||
遺構等 | 堀跡 | ||
現状 | 光円寺一帯 | ||
築城年 | 南北朝時代 | ||
築城者 | 和田氏 | ||
歴代城主 | 和田氏 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2012/1 | 感想 | △ |
お寺の周りを見ると田んぼになっていますが堀跡が分かります。 |
ふるわだじょう |
JR和歌山線「打田駅」から北西へ約1.2km。紀の川市役所から南側道路で700m程西進し池の角で右折します。350m程北上して左折すると左手方向に光円寺があり、この一帯が城跡です。 |
和田氏が居城した。和田氏の祖は和田高遠といわれ、高遠は楠木正康の次男親遠の子で、親遠が河内国よりこの地に移り和田氏と改姓し、和田城を築いた。親遠の子高遠は楠木正成の妹と結婚し正遠を出産。その弟高家の代に和田城を廃して和泉の岸ノ城へ移った。そのため、この地を古い和田(古和田)と呼んだ。岸ノ城は岸ノ和田氏といい、城を岸和田と名付け地名にもなったという。 参考資料 『和歌山県中世城館跡詳細分布調査報告書』 和歌山県教育委員会発行 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |