安宅本城 |
石垣 |
別名 | |||
所在地 | 和歌山県白浜町(日置川町)安宅 | ||
遺構等 | 石垣 | ||
現状 | 宅地、田 | ||
築城年 | 享禄年間(1528-32) | ||
築城者 | 安宅河内守 | ||
歴代城主 | 安宅 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2011/12 | 感想 | △ |
あたぎほんじょう |
JR「紀伊日置駅」から南東へ約850m。紀伊日置駅から県道37号で600m程南下して左折し、日置川を「安宅橋」で渡ります。渡り終わった正面にお城の案内板があり、この前方下が城跡です。 |
城跡は田や宅地になっていますが、民家に石垣が残っています。ここから北約400mに見える山は八幡山城です。 |
享禄年間(1528-32)、安宅河内守が築城した。日置に本拠を置いた安宅氏は、承久の乱(1221)後に阿波・河内・紀伊の守護となった小笠原長清を祖とし、紀伊水道を抑える熊野水軍の一時代を築いた。代々阿波に居住していたが、9代頼春の時、安宅姓を名乗り、紀州に移り住んだ。享禄3年(1530)安宅12代実俊の死後、相続争いから一族が敵味方に分かれて戦い、この内乱によって安宅氏の勢力は衰えた。 |