八木城 |
別名 | 石の城 | ||
所在地 | 兵庫県養父市八鹿町八木 | ||
遺構等 | 曲輪、石垣、土塁、堀切、碑、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 戦国時代 | ||
築城者 | 八木氏 | ||
歴代城主 | 八木、別所 | ||
形式 | 山城(比230m)、標330m 登城口から主郭まで約35分 |
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訪城日 | 2010/11 | 感想 | ★ |
本丸
鎌倉時代初期、八鹿町朝倉に居住した朝倉高清が西方の峰に築かれていた土城の城主・閉伊十郎行光と戦い勝利した後、三男重清を初代城主に置いたのが八木城の始まりと言われる。以来豊信まで15代、約400年続いた。南北朝時代、関東から但馬に入り、出石を本拠として全国に名をはせた山名氏の傘下に入り、代々山名四天王の一人として重きをなした。この南北朝時代から戦国時代にかけて新城(石の城)を築いた。戦国時代、織田信長の命を受け毛利攻略に向かった羽柴秀吉は姫路城を拠点としてまず播磨但馬を平定したが、天正8年(1580)3月、八木城も落とした。天正13年、秀吉の配下・別所重棟が新たに八木城に入り、子の吉治と2代15年間在城した。慶長5年(1600)吉治は関ヶ原の戦いで西軍に属したため所領を没収されたが、徳川家に仕える春日局が伯母にあたるよしみで許された。翌年、吉治は改易となり八木城は廃城となった。 |
高柳小学校から国道9号で1.3km程西進すると道路に城跡の案内が出ており、そこを右折します(角に登山口の石碑有)。正面にお堂や説明板があり、この50m先を左へ入り、すぐを右折して獣よけフェンスを越えると登城道があります。車はお堂付近の余白に停めると良いでしょう。 |
登城道や城跡内は整備され、10分程登ると東屋があり、更に6〜7分で「これより八木城跡」の標柱があります。この先に三の丸、二の丸、本丸がありますが、11月は紅葉が、4月はシャガの花がとても美しく、また石垣に圧倒されます。本丸内には土塁が西と北にあり、そこにも石が入っています。ここから八木土城が見え、そちらへ進むと堀切があります。八木土城はここから10分もあれば着くので、是非行きましょう。 |
やぎじょう |