宇佐山城 |
左手に主郭への階段が見える所まで来ると、ここは三郭と主郭の間の堀切で、右下に竪堀があります。そこから階段を登らず左手に回り込んで主郭下へ行くと石垣が見えてきます。縦に見える石積みは後世のものらしいですが、その下の斜面の立派な石垣と二郭の東下の石垣は見応えがあります。主郭と二郭はタンクやアンテナが沢山ある施設となっていますが、その南側に枡形が見られます。三郭は削平が見られるものの、木立と藪です。 |
別名 | |||
所在地 | 滋賀県大津市錦織町487 | ||
遺構等 | 曲輪、石垣、堀切、竪掘 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 元亀元年(1570) | ||
築城者 | 森可成 | ||
歴代城主 | 森 | ||
形式 | 山城(比150m、標335m) 登城口から主郭まで約15分 |
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訪城日 | 2010/9 | 感想 | ○ |
うさやまじょう |
京阪石山坂本線「近江神宮前駅」から北西へ約1km。近江神宮の西方の山にある宇佐八幡宮手前が登城口です。近江神宮前駅西方から300m程北上して小川の手前を左折、250m程西進して右折し小川を渡り更に400m程悪路を上がると宇佐八幡宮の境内に着き、2〜3台分の駐車スペースがあります。登城口は、車で上がった道で最後に左カーブした右手(山側)に「宇佐山城」の案内が有り、ここから入って2m先を左折します。あちこちに案内があり、15分程で主郭に着きます。 |
元亀元年(1570)4月、越前・朝倉攻めで浅井長政の寝返りにあい、京都へ逃げ帰った織田信長は、森可成に比叡山・浅井朝倉軍への押さえとして宇佐山に築城を命じ、守備させた。同年9月、浅井・朝倉軍が2万の軍勢で宇佐山城を攻め、森可成以下500余人の城兵が奮戦したが落城し、森可成、織田信治は討死した。その後、信長は浅井・朝倉軍と和議を結んで岐阜に帰陣した。翌元亀2年、信長は浅井・朝倉に味方した比叡山に対し、宇佐山城から全軍の指揮をして焼き討ちをした。その後、明智光秀が坂本城築城まで居城し、元亀3年(1572)坂本城完成とともに宇佐山城は廃城となった。 |