東野山砦 |
説明板の所から入っていくと左手に空堀と切岸が見えてきます。ここは一番北側の郭で、郭内に石碑があり、北西側には食い違い虎口があります。この南西側が主郭で、主郭の南東側には枡形虎口があり、その開口部の先(南)にちょっとした窪みがあります。櫓台にしては凹んでるし、馬出しにしては小さすぎる感じでちょっと不思議ですが、南側を見下ろせる位置にあります。その横から竪堀が落ちており、林道の先にも続きの堀が見えます。全体的に遺構の保存状態は良好で、土塁がよく巡っており、見応えのあるお城なのですが、藪だらけで見難かったのが残念です。 |
現地説明板より
別名 | 実山砦、佐祢山砦、左禰山砦 |
所在地 | 余呉町下東野 |
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、竪堀、虎口、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | |
築城者 | 東野豊前守 |
歴代城主 | 東野豊前守、堀秀政 |
形式 | 山城(陣城)(比120m) |
訪城日 | 2007/11/10 |
とうのやま(ひがしのやま)とりで |
余呉町役場から国道365号で4km程北上した「小谷バス停」を過ぎてすぐを右折し、北陸自動車道のガードをくぐり、80m程東進した集落内で右折します。150m程南下して左折し、左手に「八幡神社」を過ぎて1km程東進して右折します。ここから未舗装の道を3km程南下すると右手にお城の説明板が見えます。ここが砦跡で、林道脇に駐車可能です。 |
林道から見える説明板
東野山砦は、京極氏、浅井氏が湖北に君臨していた頃から配下にあった当地の豪族東野豊前守一族が居城した。天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際は羽柴秀吉方で佐和山城主だった堀秀政がここに砦を築き、行市山に布陣した柴田勝家方の佐久間盛政と対峙した。堀秀政はここを拠点として柴田勝家の大軍を食い止め、北国街道を一兵たりとも南下させず、秀吉大勝に貢献した。 |